月と星とカピバラとー宵の乙女的日常ー

お洒落もオタ活も頑張りたいオタク。

乙女ゲームにおけるBL描写についてー終ヴィル(終遠のヴィルシュ)BL表現問題ー

※Attention※

オトメイトの新作「終遠のヴィルシュ」について軽度のネタバレが含まれます。作中のBL表現について簡単に説明するためであり、ストーリーや当該キャラクターについては言及していません。

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上記確認したらスクロール↓↓↓

 

 

 

 

 

 

概要

 現在、乙女ゲームクラスタがとある‟問題”でざわついている。それは、オトメイトの新作「終遠のヴィルシュ」においてBL表現が含まれていることについて。どのくらいの描写なのかは以下の通り

・攻略対象の1人に対してサブキャラ(攻略対象外の男性)が好意を抱いている

・サブキャラの一方通行の感情

・ゲーム中では、‟恋”とは明言されていない。そのため本編だけなら「恋愛というより友情的な意味での好意か?」と思えなくもない

・が、一部店舗特典により彼の抱いてた感情が恋愛のそれと確定

・公式サイト等には「BL表現が含まれる」旨の警告、ワンクッションはなし

という感じ。

 今回はこの乙女ゲーにおけるBL表現について個人的に思ったことを綴っていこうと思う。

乙女ゲーにおける「BL表現」の何が問題か

 この一件に関して、界隈の意見はおおよそ二つに分かれる。

「乙女ゲーにBLなんてありえない!認められない!」というのと「自分は別に気にならなかった」というもの。比率としては前者が60%、後者が40%ほどであろうか。

そして、私は前者の意見に賛成である。別にBLが受け付けない人間というわけではない。むしろストーリーとシチュエーションが刺されば、BLでもNLでも何でもいけるタイプである。

 今回のBL表現についても「終遠のヴィルシュ」という作品が‟乙女ゲーム”というジャンルでなければ、当該キャラには「へー、そうなんだ。まあ、これはこれでいいんじゃん?」程度の感想しか抱かないであろう。「認められない派」でも私のような人は少なからずいるのではなかろうか。

 そう。終ヴィルが物議を醸している訳は、結局のところ乙女ゲームというジャンルの性質にあるのだ。

 乙女ゲームの消費者は何をみるために、作品をプレイするのか。言うまでもない。ヒロイン(女性)と攻略対象(男性)の恋愛を楽しむためだ。夢女子的な立場でヒロイン=自分に置き換え楽しむ人も、第三者的視点からヒロインと攻略対象のストーリーを見る人もそれは変わらない。プレイする上で前提にしているのは、男性×女性のカップリングだけなのだ。作中で同性愛が出てくる可能性など、まず一切考えていないのである。

 そんな前提条件の下でプレイしているのに、いきなり(一方通行とはいえ)BLを匂わせる描写が出てきたら「えっ!?」となるのは当然であろう。BL漫画で男×男のCPの間にモブ女が割って入ってきた時の腐女子の反応と同じだ。

 そもそも乙女ゲーマーのなかには、BL表現自体を受け付けない、或いは腐女子が苦手というタイプは一定数いる。男女のカップリングが絶対の乙女ゲームであれば、それらとは出会わないだろうという理由で、乙女ゲームを選択する人も当然いるだろう。そういった類の人にとっては、今回の一件、たまったものではないだろう。下手したら今後もBL描写のある作品が出るかもしれないし、これがきっかけで乙女ゲーム腐女子流入する可能性もある。

 そう考えると、やはり棲み分けというのは大事だと私は思う。BLが好きそうな人、男女CPが好きな人、それぞれが適したジャンルを楽しむのが一番だ。

 もし、BL表現が乙女ゲームでも当然になったら、乙女ゲームという存在自体が危うくなりかねない。女性向けスマホアプリのように、配慮の結果、極限まで個性を薄くされたヒロインが主流になったら、もはやそれは乙女ゲームですらなくなるだろう。

制作側の意図は?(余談)

 今回の件についてTwitterで「オトメイトは何を考えているのか」といった憤りの声が散見されるが、何も考えていないんじゃないかというのが私の思うところである。制作サイドだからといって、必ずしも乙女ゲーが好きというわけではないだろう。何なら女オタクにも様々なタイプがいることを認識すらしていないかもしれない。

 私がかつて話を聞いた女性向けアニメ情報誌(アニメージュ、ガルスタ等)の編集者は自分の作っている雑誌のことを「腐女子向け」と言っていた。世の中には腐と夢の区別すらつかず、「女オタクはみんなBLが好き/いける」と勘違いしている制作サイドも存在するのである。

 

 

 

 

 

 

竜騎士07氏は同人から脱却出来ていないのでないか~ひぐらしのなく頃に業・卒を視聴しての感想~

 

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 一週間ほど前の話にはなるが、「ひぐらしのなく頃に 卒」最終話をリアタイで視聴した。神楽し編三話のトンでも異能力バトルから「もうこれはどうしようもないのでは?」と感じてはいたが、何せ‟あの”ひぐらし。もしかしたら、最後の最後でどんでん返しがあるかもしれないと1ミクロンほど期待していたためである。

 ……駄目だった。

 梨花と沙都子は、何事もなかったかのようにとまではいかないものの、あっさりと和解し、梨花はルチーアへ、沙都子は雛見沢に残るという選択をする。その後これまでひぐらしに関わってきた人物が映され、「Youー卒業ー」が流れる。沙都子はSSR鉄平と幸せに暮らしましたとさ。そんな雛見沢を見守りながら、羽生が満足げな笑みを浮かべて終了。何だこのとってつけたような感動演出。

 平和な雛見沢を観て、視聴者ももちろんニッコリ、大満足。………いや、そんなわけがないんだわ。

 鬼騙し編の意味深な看護師は?圭一はタフすぎただけ?作画ミスでは済ませれないほどの反転描写の数々は?雛見沢のバーサーカーと呼ばれた詩音は何処へ?鷹野と富竹はほぼ放置?悟についての描写それだけ?エウアって暇つぶしか何かしにきたの?

 これが同人か二次創作であれば、まあ別にいい。ご自由にどうぞ。ただ、商業作品で、原作者自らが書き下ろした脚本で、この終わり方は如何なものかという話である。

 そもそも原作者である竜騎士07氏は「自分が書きたいものを優先するあまり、読者を置いてけぼりにしがち」なタイプの作家である。その傾向は「うみねこのなく頃に」を通った者には周知の事実であろう。これが同人作家出身という環境故か、単に本人の資質故かは分かりかねるが。

 が、その事実を考慮しても、「ひぐらし 業・卒」は商業でやる内容としてあまりにも酷い。例えば旧ひぐらしはそのファンタジー要素に多少の批判はあれど、惨劇の数々に関する解は、雛見沢症候群、黒幕の存在といった要因によって、詳らかになっている。

 「うみねこのなく頃に」に関しても、原作EP8の真相丸投げ感については批判の声が多いものの(漫画で原作の補完をさせるのは如何なものか)、入念に練られたメタ構造的な展開には目を見張るものがある。そして何より(「ひぐらし」の評判によって、発売時より注目されてはいたものの)「うみねこ」は同人サークルから出た作品である。

 対して「ひぐらし業・卒」。旧作は「うみねこ」同様に同人で発表された作品であるが、今回の新作は明らかに商業的なかたちで制作されたものだった。制作サイドから竜騎士07氏に持ち掛けられたものなのか、はたまたその逆か。原作者のコメント等を見る限り、後者である気がしないでもないが。

 何にせよ「あのひぐらしがリメイク」と大々的に銘打ってのアニメ化、同時進行のコミカライズ、リアルイベントの企画等、一連の新プロジェクトが商業的な展開でもって動いていることは自明の理であった。

 ここで問題となってくるのが、同人と商業の違いである。この2つの違いとは何か。簡単である。営利か非営利か。ただそれだけだ。

 一般的に同人は、個人が趣味で「作りたいものを好きなようにつくる」ものである。当然、印刷やイベントへの出店にかかる費用も全て自己負担。作品が売れず、最終的な収支がマイナスになったとしてもそれは自己責任である。むしろ「売れなくてもいい!自分がこういう話を読みたいから、或いは創作が好きだからやる!」というスタンスの人が大半ではないか。

 私も過去に一冊だけ同人誌を出したことがあるがあんな活動、好きでなければ続けられるわけがない。原稿の作成、表紙の依頼、イベントの申し込み、入稿、エトセトラ、エトセトラ……。学業や仕事の合間を縫って全てこなすには、相当な根気がいる。しかも、活動の大半は赤字。

 そんな苦労とリスクを背負っているからこそ、同人作家は読者/プレイヤーの需要を気にせず、自由に活動ができるのである。

 それに対して、商業は「消費者の需要を掴んで、作品をつくる」ことが必須である。何故ならば作り手と消費者の間に、出版社などの第三者が介在するからだ。この場合、作り手は、消費者との間で橋渡しをしてくれるこの第三者のためにも利益を上げなければならない。そうでなければ、彼らが潰れてしまう。

 正直今回のひぐらし新プロジェクトにおいて、竜騎士07氏には「商業的な面に対する考慮」が欠けていたように私は感じた。

 「うみねこ」はいい。事件の真相をプレイヤーに丸投げしようが何しようが、あれは氏が自らのサークルで「同人作品」として発表したものだからである。たとえ氏のファンが落胆して離れようと、その跳ね返りは竜騎士07氏のみにしか行かない。

 だが、今回の「ひぐらし業・卒」は紛れもない商業作品だ。一連のプロジェクトには制作会社や下請け、配給会社、コミカライズに関わる出版社など、数えきれないほどの人が携わっている。果たして今回の新作は、彼らが割いた労力と制作費に見合った売上を出せるのだろうか……。

 駄目だったのは、魔女でも大団円でも梨花と沙都子の愛憎でもない。商業作品で諸々の謎や伏線、各キャラの個性をおざなりにし、綺麗にまとめ上げることをしなかった脚本とそれを止められなかった制作側である。

 それにしてもひたすらヘイトを向けられる役割になった沙都子がいたたまれない。彼女が精神的に幼いのも、梨花に執着向けちゃうのも分かるんだけど。目明し編の拷問に屈しなかった沙都子はどこへ行ってしまったのだろう……

 

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宝石商リチャード氏のロイヤルミルクティーを作ってみたー煮出しミルクティーとレンチンずぼらミルクティー飲み比べー

 『宝石商リチャード氏の謎鑑定』シリーズは、集英社オレンジ文庫より刊行されているライト文芸シリーズである。

 類稀な美貌の宝石商・リチャードと彼のお店でアルバイトとして働く大学生・中田正義の2人が宝石にまつわる謎を解き明かすという内容の本作は、辻村七子氏の巧みなストーリー展開とキャラ設定と、雪広うたこ氏の美麗なカバーイラストが好評を博し、累計発行部数80万部にも及ぶ、大人気作品となっている。

 現時点で既刊は11巻、2020年には朱夏によってアニメ化もされた。

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 そんな本作における主人公のひとり・リチャードは大の甘党であり、ロイヤルミルクティー過激派。この作品7巻までは基本、一話完結型となっているのだが、ほぼ毎話ロイヤルミルクティーが登場するほどである。

 彼が認めるロイヤルミルクティーのかたちはただひとつ。鍋で煮出したミルクティーだけ。

湯を沸かした鍋に、でかいプラスチックスプーンてんこもりの茶葉を叩き込み、強火でぐつぐつさせ、紅茶の色が出てきたところでミルクを投入、煮立った泡が鍋の縁までぽわぽわ迫ってきたところで火を消す。お盆に載せた二つのカップに、かわるがわる茶こしをかざして、リチャードは鍋からミルクティーを注いだ。

                 『宝石商リチャード氏の謎鑑定』p70より

 ちなみにリチャード氏はイギリス人であるが、このロイヤルミルクティー、日本が発祥である。イギリス生まれイギリス育ちの生粋の外国人である彼が、ロイヤルミルクティーを愛するに至った経緯は、その複雑な家庭環境にあったりする。彼の置かれた立場もまた、本作の見どころなので是非確かめてみてほしい。今日はそんなリチャード氏の大好物・ロイヤルミルクティーをなるべく本作の通りに作ってみた。

 材料はこちら。

・茶葉(アッサム)9g

・水 100ml

・牛乳 200ml

 茶葉はお茶専門店ルピシアで購入したミルクティー用のもの、牛乳はスーパーで売っている明治の「おいしい牛乳」である。

 なお、作中では、使用する茶葉やミルクの量の記載がなかったため、Youtubeにあった動画を参考に決めさせてもらった。参照した動画は以下の通り。「宝石商」アニメのキャスト・内田雄馬氏によるミルクティーづくりの動画と、執事喫茶スワロウテイルロイヤルミルクティーの解説動画である。

(1) 宝石商リチャード氏の謎鑑定 / 内田雄馬のだいたい3分間クッキング① - YouTube

(1) 美味しいロイヤルミルクティーの淹れ方 - YouTube

 手順は次の通り。

1、水100mlをコンロで沸騰するまで温める

2,沸騰したら茶葉を全て投入し、2分ほどぐつぐつ煮込む。

 

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煮込んだ後はこんな感じ。中心の粒粒の塊が茶葉、端っこの茶色い液体が紅茶のエキスが煮出されたものである。……控えめに言ってもまずそう。手順はあっているはずだが……。とりあえず続けてみよう。

3、牛乳を入れ、再度コンロの火にかける。鍋の縁が泡立ってきたら火を止める。

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そうするとこんな感じに。なんだかロイヤルミルクティーっぽい色味である。茶葉の香りもふわっと匂ってきた。

 これを茶こしで茶葉を分離し、カップに注げばリチャード氏の大好物ロイヤルミルクティーの完成である。

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 完成までの時間は5分ほど。案外お手軽であった。

 さて、試飲といきたいが、その前に味の比較用に私が普段作っている「ずぼらミルクティ」も用意しておく。

こちらはもっと簡単。

ティーバッグ2個(ホチキス止めされていないもの、リプトンのイエローラベル等)をカップに入れ水60mlを入れて、軽くレンチン。温まったらそこに牛乳120mlをいれ、「牛乳モード」に設定し再度レンジへ。取り出したら1分置いた後、ティーバッグを取り除く。以上。

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こちらも完成したので、さっそく二つを飲み比べてみる。

 まずはいつものずぼらミルクティー。普通に美味しいんだけど牛乳の主張が強い。紅茶感が弱い。

 次に鍋で煮出したミルクティー

……………!!!!

 なにこれめちゃくちゃ美味しい!まず口に運んだところで、茶葉のいい香りが鼻を通り抜けていった。そして何と言っても驚いたのは、その味。紅茶がしっかりと主張している。前者では、口に入れた瞬間、牛乳の濃さが圧倒的だったが、こちらはまず茶葉が前面に出てくる。その上でミルクがちゃんと馴染んでいて、紅茶の味は楽しめつつも、牛乳の甘さ、まろやかさが楽しめる。お店で出てくるロイヤルミルクティーそのもの。

 これは、リチャード氏が過激派になってしまうのも多いに納得である。

 けれどこちら茶葉の消費量が半端ないので、今後は、普段はレンチンずぼらミルクティー、週1の贅沢でリチャード氏のミルクティーを楽しもうと思う。

 

 

 

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